ココは何処?
2008年8月22日夫は時々、訳の判らない事を言い出す。
今日は「とっちゃんは帰ったか?」と言うので「とっちゃんって
誰?」と聞くと「同期のアサイだ」
「そんな人来てないよ」
「お〜い、誰か呼んできてくれ」
「誰かって、ココは家だよ。退院したの」
そうかと思うと
「起きたい。起こしてくれ」と言う。
起こしても背もたれがなければ後ろにひっくり返ってしまう。
「やっぱり無理だよ。起きてどうするの?」
「オシッコ」
「オシッコなら、ココでしても大丈夫だよ。私が直ぐ取り替える
から」
「そうか」と納得しても、また1時間もすると同じ事を言い出す。
今日は朝から何回こんな会話をしただろう。
放射線治療の後遺症が出てきたのだろうか。
「今、何処にいる?病院か?」
「今は家だよ。病院に戻りたいの?」
「いや戻りたくない。」
もう病院に入院するのは嫌らしい。
何処も悪くないと言う。
もう癌の治療はしていないので、いつ痛みや、苦しみが出るかも
判らない。
不安だらけの毎日だ。
今日は「とっちゃんは帰ったか?」と言うので「とっちゃんって
誰?」と聞くと「同期のアサイだ」
「そんな人来てないよ」
「お〜い、誰か呼んできてくれ」
「誰かって、ココは家だよ。退院したの」
そうかと思うと
「起きたい。起こしてくれ」と言う。
起こしても背もたれがなければ後ろにひっくり返ってしまう。
「やっぱり無理だよ。起きてどうするの?」
「オシッコ」
「オシッコなら、ココでしても大丈夫だよ。私が直ぐ取り替える
から」
「そうか」と納得しても、また1時間もすると同じ事を言い出す。
今日は朝から何回こんな会話をしただろう。
放射線治療の後遺症が出てきたのだろうか。
「今、何処にいる?病院か?」
「今は家だよ。病院に戻りたいの?」
「いや戻りたくない。」
もう病院に入院するのは嫌らしい。
何処も悪くないと言う。
もう癌の治療はしていないので、いつ痛みや、苦しみが出るかも
判らない。
不安だらけの毎日だ。
退院
2008年8月20日今日退院した。
1時に退院の予定が、介護タクシーの予約が取れなくて3時になった。
私も一緒に乗って帰るので、病院にはバスで行く。
11時過ぎに病院に行くと、夫はシャワーをしてもらいパジャマに
着替えていた。
ケースワーカーの人が様子を見に来たので、緩和ケア病棟の事を
聞いてみた。
夫が承諾しないのでとりあえず保留と言う事になったらしい。
何も知らない私達は、連絡を待っていたのに。
会計を済ませ、3時にタクシーが来るのを待つ。
ケアマネジャーの話では男の人が来てくれるということだったが
女の人だった。
夫をベッドまで二人で運べるか不安になったが、相手はその道の
プロだ、何とかなるだろう。
やはりベッドに運ぶ時は二人掛りで、汗だくになってやっと寝かす
事が出来た。
食欲がないとはいえあまり痩せてはいない。
ケースワーカーに緩和ケアの病院に電話をしてみたらと言われたので
掛けて見た。
どうやら主治医が断りの電話を入れたみたいだ。
確かに夫はいい返事をしていない。
今日言った事を、明日になれば忘れているような状態でも本人の
承諾がないと駄目なのだ。
それに再度予約を頼むには、主治医から連絡をして貰わないと
受ける事は出来ないといわれた。
一気に緩和ケアに行く気が覚めた。
いつまで家で過ごせるか判らないけど、やってやろうじゃないの。
幸い酸素も無し、尿の管も取れた、オムツも不本意ながら着けてくれている。
前のようにトイレに行くと言い張る事はないだろう。
何とか頑張れそうな気がする。
1時に退院の予定が、介護タクシーの予約が取れなくて3時になった。
私も一緒に乗って帰るので、病院にはバスで行く。
11時過ぎに病院に行くと、夫はシャワーをしてもらいパジャマに
着替えていた。
ケースワーカーの人が様子を見に来たので、緩和ケア病棟の事を
聞いてみた。
夫が承諾しないのでとりあえず保留と言う事になったらしい。
何も知らない私達は、連絡を待っていたのに。
会計を済ませ、3時にタクシーが来るのを待つ。
ケアマネジャーの話では男の人が来てくれるということだったが
女の人だった。
夫をベッドまで二人で運べるか不安になったが、相手はその道の
プロだ、何とかなるだろう。
やはりベッドに運ぶ時は二人掛りで、汗だくになってやっと寝かす
事が出来た。
食欲がないとはいえあまり痩せてはいない。
ケースワーカーに緩和ケアの病院に電話をしてみたらと言われたので
掛けて見た。
どうやら主治医が断りの電話を入れたみたいだ。
確かに夫はいい返事をしていない。
今日言った事を、明日になれば忘れているような状態でも本人の
承諾がないと駄目なのだ。
それに再度予約を頼むには、主治医から連絡をして貰わないと
受ける事は出来ないといわれた。
一気に緩和ケアに行く気が覚めた。
いつまで家で過ごせるか判らないけど、やってやろうじゃないの。
幸い酸素も無し、尿の管も取れた、オムツも不本意ながら着けてくれている。
前のようにトイレに行くと言い張る事はないだろう。
何とか頑張れそうな気がする。
嵐の後?
2008年8月18日13日から、山口に住む二男一家が帰省していた。
長男も子供を連れてやってくる。
娘の子供達もやってくると、子供だけでも7人。
一同に遊びだすと我が家は無法地帯と化す。
おもちゃは散乱。
紙は切り刻み、ばら撒かれる。
足の踏み場もないというのはこの事だ。
それが連日続いて、今日二男一家が山口に帰っていったので
やっと治まった。
そうなると極端に静かで、寂しい。
私の財布の中身も寂しい。
夫が入院中で、昼、夜と食事時に病院に行っているので
子供達の食事の面倒まで見れない。
ついつい外食になってしまうからだ。
まぁいっか。
年に数回の事だから。
嵐の後の我が家で、一人寂しく掃除機をかけている。
長男も子供を連れてやってくる。
娘の子供達もやってくると、子供だけでも7人。
一同に遊びだすと我が家は無法地帯と化す。
おもちゃは散乱。
紙は切り刻み、ばら撒かれる。
足の踏み場もないというのはこの事だ。
それが連日続いて、今日二男一家が山口に帰っていったので
やっと治まった。
そうなると極端に静かで、寂しい。
私の財布の中身も寂しい。
夫が入院中で、昼、夜と食事時に病院に行っているので
子供達の食事の面倒まで見れない。
ついつい外食になってしまうからだ。
まぁいっか。
年に数回の事だから。
嵐の後の我が家で、一人寂しく掃除機をかけている。
元気になった?
2008年8月17日夫の食欲も増して、顔色も良くなった。
一時は言葉も思うように出ず、何を言っているのかわからな
かったが。この数日で言葉もはっきりしてきた。
しかし、時々訳のわからない事を言い出す。
病院に見舞いに来た二男に「お前、いつのフライトに乗るだ?」
「?、オレ飛行機になんか乗らないよ」
「そうか」
私にも「お前、いつ出かけるだ?」
「私?何処にでかけるの?」
「大阪」
「大阪になんか行く予定は無いよ」
「そうか」
頭の中をいろんな思いが巡っているのだろうか?
娘の引越しが21日に決まった。
夫に話したが理解できているだろうか。
一時は言葉も思うように出ず、何を言っているのかわからな
かったが。この数日で言葉もはっきりしてきた。
しかし、時々訳のわからない事を言い出す。
病院に見舞いに来た二男に「お前、いつのフライトに乗るだ?」
「?、オレ飛行機になんか乗らないよ」
「そうか」
私にも「お前、いつ出かけるだ?」
「私?何処にでかけるの?」
「大阪」
「大阪になんか行く予定は無いよ」
「そうか」
頭の中をいろんな思いが巡っているのだろうか?
娘の引越しが21日に決まった。
夫に話したが理解できているだろうか。
バーベキュー
2008年8月15日長男が我が家の庭でバーベキューをしたいという。
材料だけ用意してくれれば、後は自分が支度をするという。
私は病院が有るので、二男と嫁にお金を渡して、材料を買って
来てくれるように頼んだ。
病院で夫の夕食を食べさせて、家に電話してみた。
「私の食べるものある?」
「焼きソバがある」
家に帰ると子供と孫が全員揃っていた。
孫達はお肉をパクパク食べたらしい。
花火もやって楽しかったようだ。
夫が元気なら全部仕切ってやってくれただろう。
今日は長男が仕切ってやってくれたようだ。
子供達が全員揃って、孫達も皆元気で、これが幸せと言うのだろうが
夫がココに居ないのは寂しい。
これから先も、夫を交えてのバーベキューは望めないだろう。
まして、息子が外国勤務になれば、全員揃うなんて事はますます
無くなる。
材料だけ用意してくれれば、後は自分が支度をするという。
私は病院が有るので、二男と嫁にお金を渡して、材料を買って
来てくれるように頼んだ。
病院で夫の夕食を食べさせて、家に電話してみた。
「私の食べるものある?」
「焼きソバがある」
家に帰ると子供と孫が全員揃っていた。
孫達はお肉をパクパク食べたらしい。
花火もやって楽しかったようだ。
夫が元気なら全部仕切ってやってくれただろう。
今日は長男が仕切ってやってくれたようだ。
子供達が全員揃って、孫達も皆元気で、これが幸せと言うのだろうが
夫がココに居ないのは寂しい。
これから先も、夫を交えてのバーベキューは望めないだろう。
まして、息子が外国勤務になれば、全員揃うなんて事はますます
無くなる。
やってしまった;
2008年8月13日病院の駐車場で、一台分空いていたのでそこに入れようと思ったら
その前も開いていたので、そのまま突っ込んで駐車しようとしたら
鈍い音がした。
横の車に接触したのだ。
音がした時に直ぐに止まればいいものを、そのまま前に行って
しまった。
降りて横の車を見るとかなりな傷。
私の車のバンパーもあらまぁ〜どころではない。
起きてしまったことに動揺して、足が震えてきた。
どうしよう、どうしようとあたふたし、守衛の所に行き
「車ぶつけちゃったんですけど、相手の人が分からないので
どうしたらいいでしょう?」と聞いた。
「メモをワイパーに挟んでおいたらどうですか?」
メモを書くにも手が震えてミミズの這ったような字しか書けない。
夫の所に行かなければいけないのに、そそくさと家に帰ってきた。
息子に電話してどうしたらいいのか聞く。
まず保険会社に電話をしろといわれ電話をする。
相手がわからないので、とりあえず報告だけした。
昼時になって義姉から電話があり、事情を話して夫の食事をお願い
した。
携帯が鳴り相手の人から連絡がある。
女の人だ。
平誤りに誤り、とりあえず会う事にして、近くのドラッグストアの
駐車場で待ち合わせた。
開口一番「すみません、」というと「いやぁ、言ってくれただけでも
いいですよ」と言われた。
直ぐに保険会社に電話をして相手の人と話をして貰う。
保険で相手の車は修理ができるが、私の車はどうしよう。
もう12万キロも乗っているので買い変え時期なのだ。
息子も次の車検で替えるなら、そのままでもいいじゃん」
しかし夫が見たらなんと言うだろう。
相手の人がいい人でよかった。
ぶつけた時の鈍い感触が頭から離れない。
その前も開いていたので、そのまま突っ込んで駐車しようとしたら
鈍い音がした。
横の車に接触したのだ。
音がした時に直ぐに止まればいいものを、そのまま前に行って
しまった。
降りて横の車を見るとかなりな傷。
私の車のバンパーもあらまぁ〜どころではない。
起きてしまったことに動揺して、足が震えてきた。
どうしよう、どうしようとあたふたし、守衛の所に行き
「車ぶつけちゃったんですけど、相手の人が分からないので
どうしたらいいでしょう?」と聞いた。
「メモをワイパーに挟んでおいたらどうですか?」
メモを書くにも手が震えてミミズの這ったような字しか書けない。
夫の所に行かなければいけないのに、そそくさと家に帰ってきた。
息子に電話してどうしたらいいのか聞く。
まず保険会社に電話をしろといわれ電話をする。
相手がわからないので、とりあえず報告だけした。
昼時になって義姉から電話があり、事情を話して夫の食事をお願い
した。
携帯が鳴り相手の人から連絡がある。
女の人だ。
平誤りに誤り、とりあえず会う事にして、近くのドラッグストアの
駐車場で待ち合わせた。
開口一番「すみません、」というと「いやぁ、言ってくれただけでも
いいですよ」と言われた。
直ぐに保険会社に電話をして相手の人と話をして貰う。
保険で相手の車は修理ができるが、私の車はどうしよう。
もう12万キロも乗っているので買い変え時期なのだ。
息子も次の車検で替えるなら、そのままでもいいじゃん」
しかし夫が見たらなんと言うだろう。
相手の人がいい人でよかった。
ぶつけた時の鈍い感触が頭から離れない。
家に帰りたい
2008年8月12日今日も私の顔を見るたびに「帰るぞ」と言う。
「先生が良いと言わないと帰れないの」
「じゃあ、先生を呼んで来い」
「今日はお休みだから居ないよ」
「・・・」
夕食を食べさせて、「もう帰るね、明日また来るから」と言うと
「オレも帰る」
「また来るから」「ほんとに来る?」
なんとか納得してもらった。
明日から、二男も帰ってくることだし、私一人ではないので
外泊させて貰おうかと考えている。
一人では心配だが、皆が居れば心強い。
家に帰れるのも、もうあまり無いかも知れない。
あんなに帰りたがっているのに、駄目だと言うのも凄く悪いことを
しているようで、気が重い。
1日2日かもしれないが、思うようにしてあげたいと思う。
明日、当直の先生に話してみよう。
「先生が良いと言わないと帰れないの」
「じゃあ、先生を呼んで来い」
「今日はお休みだから居ないよ」
「・・・」
夕食を食べさせて、「もう帰るね、明日また来るから」と言うと
「オレも帰る」
「また来るから」「ほんとに来る?」
なんとか納得してもらった。
明日から、二男も帰ってくることだし、私一人ではないので
外泊させて貰おうかと考えている。
一人では心配だが、皆が居れば心強い。
家に帰れるのも、もうあまり無いかも知れない。
あんなに帰りたがっているのに、駄目だと言うのも凄く悪いことを
しているようで、気が重い。
1日2日かもしれないが、思うようにしてあげたいと思う。
明日、当直の先生に話してみよう。
山の写真
2008年8月11日夫の病室の冷蔵庫の上に、山登りをしていた時の写真が飾って
ある。
ケースワーカーの人に薦められたからだ。
二人で写っているのは、高い山に登った時の写真ばかりだ。
仙丈や北岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳などを写真立てに入れた
看護士がそれに目を止めて、色々夫に話し掛けてくれるらしい。
夫も思うようには話せないが、嬉しそうにしている。
看護士が「こう言う写真を見るとその人の歴史みたいな物を感じる、
ベッドで寝てるだけの姿しか知らないから」と言った。
私もひと時、山の思い出に浸る。
今さら言っても仕方ないが、これからと言う時の発病だったから
ほんとに残念でたまらない。
改めて見ると、二人で撮った写真、いい顔してるね。
ある。
ケースワーカーの人に薦められたからだ。
二人で写っているのは、高い山に登った時の写真ばかりだ。
仙丈や北岳、笠ヶ岳、槍ヶ岳などを写真立てに入れた
看護士がそれに目を止めて、色々夫に話し掛けてくれるらしい。
夫も思うようには話せないが、嬉しそうにしている。
看護士が「こう言う写真を見るとその人の歴史みたいな物を感じる、
ベッドで寝てるだけの姿しか知らないから」と言った。
私もひと時、山の思い出に浸る。
今さら言っても仕方ないが、これからと言う時の発病だったから
ほんとに残念でたまらない。
改めて見ると、二人で撮った写真、いい顔してるね。
誕生日
2008年8月9日今日は私の誕生日だ。
といってもこの年になれば嬉しくもなんともないが。
娘達が夕食を一緒に食べようといってくれた。
今日の夫はどこか変だった。
何時もは寝ている事が多いのに、今日はしきりに家に帰りたがった。
顔を見ると「家に帰るぞ、支度しろ」とか「家に電話しろ
とか言う。
「家に電話しても、だれも居ないよ。犬しか」
「犬が出るから電話しろ」
「犬が電話に出れるわけ無いじゃん」
また「早く支度をしろ、タクシーを呼べ」
「あのね、先生が帰っていいと言われないと帰れないの」
「何でお前がそんなこと決めるだ」
「決めるたって、そういうことになってるの」
「じゃ、先生を呼べ」
「先生は休みで、月曜日までいないの」
「家に帰るぞ」
今日は何度こんな会話をした事だろう。
家に帰りたいなら連れて帰るけど、ご飯も食べられないのに
どうしたらいいの。
軽く聞き流せばいいことなのだろうけど、そうすれば必ず
お前はオレの言う事を何も聞かんと怒る。
夕食も「要らん」と全く食べようしない。
スプーンで口元まで運んでも、そっぽを向く。
「食べないと元気になれないでしょう。元気にならないと
退院できないよ。」
と言うのも待ったく聞く耳持たず。
子供達と食事に行くので、「今日はもう帰るね」と言うと
「まだ帰っちゃいかん」と入院して初めて止められた。
「今日は、昼ご飯も食べてないし、お腹すいたの。後でまた
来るから、ちょっと我慢してね」
と言うとしぶしぶ頷いた。
食事が終わって、病院に行き病室を覗いたら、夫は眠っていた。
夜勤の受け持ちの看護士によくお願いして帰ってきた。
明日病院に行くとなんか言われそうだな。
結構覚えてて「何で来なかった」なんて。
といってもこの年になれば嬉しくもなんともないが。
娘達が夕食を一緒に食べようといってくれた。
今日の夫はどこか変だった。
何時もは寝ている事が多いのに、今日はしきりに家に帰りたがった。
顔を見ると「家に帰るぞ、支度しろ」とか「家に電話しろ
とか言う。
「家に電話しても、だれも居ないよ。犬しか」
「犬が出るから電話しろ」
「犬が電話に出れるわけ無いじゃん」
また「早く支度をしろ、タクシーを呼べ」
「あのね、先生が帰っていいと言われないと帰れないの」
「何でお前がそんなこと決めるだ」
「決めるたって、そういうことになってるの」
「じゃ、先生を呼べ」
「先生は休みで、月曜日までいないの」
「家に帰るぞ」
今日は何度こんな会話をした事だろう。
家に帰りたいなら連れて帰るけど、ご飯も食べられないのに
どうしたらいいの。
軽く聞き流せばいいことなのだろうけど、そうすれば必ず
お前はオレの言う事を何も聞かんと怒る。
夕食も「要らん」と全く食べようしない。
スプーンで口元まで運んでも、そっぽを向く。
「食べないと元気になれないでしょう。元気にならないと
退院できないよ。」
と言うのも待ったく聞く耳持たず。
子供達と食事に行くので、「今日はもう帰るね」と言うと
「まだ帰っちゃいかん」と入院して初めて止められた。
「今日は、昼ご飯も食べてないし、お腹すいたの。後でまた
来るから、ちょっと我慢してね」
と言うとしぶしぶ頷いた。
食事が終わって、病院に行き病室を覗いたら、夫は眠っていた。
夜勤の受け持ちの看護士によくお願いして帰ってきた。
明日病院に行くとなんか言われそうだな。
結構覚えてて「何で来なかった」なんて。
物臭
2008年8月7日夫が入院してから、昼と夜の食事の時間に病院に行き
一緒に食事をした。
初めのうちは夫も自分で食べていたが、そのうち自分で食べなく
なり私が食べさせるようになった。
それまでは弁当を作って一緒に食べていたのが、食べさせていると
自分が食べる時間がないので、弁当を作らなくなった。
家に帰って適当にあるものを食べるか、出来合いを買って食べる
ことが多くなった。
自分ひとりのためにわざわざ何かを作るのが面倒なだけだ。
夫が家に居る頃は、色々作って食べて貰っていたが、居ないと
ほんとに作るのが面倒になる。
元々食べる事にあまりこだわりが無いし、お腹が膨らめばいいと
思っている。
子供に「お父さんが居なくなったら、お母さんは栄養失調に
なっちゃうかも」と言うと呆れられた。
全く笑えない話だが、そうなる確率は高い。
一緒に食事をした。
初めのうちは夫も自分で食べていたが、そのうち自分で食べなく
なり私が食べさせるようになった。
それまでは弁当を作って一緒に食べていたのが、食べさせていると
自分が食べる時間がないので、弁当を作らなくなった。
家に帰って適当にあるものを食べるか、出来合いを買って食べる
ことが多くなった。
自分ひとりのためにわざわざ何かを作るのが面倒なだけだ。
夫が家に居る頃は、色々作って食べて貰っていたが、居ないと
ほんとに作るのが面倒になる。
元々食べる事にあまりこだわりが無いし、お腹が膨らめばいいと
思っている。
子供に「お父さんが居なくなったら、お母さんは栄養失調に
なっちゃうかも」と言うと呆れられた。
全く笑えない話だが、そうなる確率は高い。
緩和ケア病棟
2008年8月4日息子と一緒に緩和ケア病棟の見学に行く。
家から高速を使って30分位のところにある。
まず緩和ケアの専門医との面接で、主治医が書いた治療報告書と写真、
私たちの話を総合して、「かなり危険な状態です」と判断された。
そして部屋は全部個室で12000円、5000円、無料の部屋が有り、
無料の部屋は待っている人が数人居るとのこと、5000円の部屋なら
数日で入れるだろうと言われた。
5000円の部屋を予約する。
部屋も見せてもらった。
今の病院で5000円の個室を頼むなら、此方のほうがいいなと思う。
しかしかなり悪いと言うのには少々驚いた。
いよいよ覚悟をしなければいけないのだろうか。
帰りの車の中で涙が出て仕方なかった。
子供の前で涙は見せたく無かったが・・・
主治医に見学に行った旨伝える。
転院するには本人が自覚していなければいけないので、主治医が
説明してくれると言う。
夫は今の病院が良いと言うに違いない。
家から高速を使って30分位のところにある。
まず緩和ケアの専門医との面接で、主治医が書いた治療報告書と写真、
私たちの話を総合して、「かなり危険な状態です」と判断された。
そして部屋は全部個室で12000円、5000円、無料の部屋が有り、
無料の部屋は待っている人が数人居るとのこと、5000円の部屋なら
数日で入れるだろうと言われた。
5000円の部屋を予約する。
部屋も見せてもらった。
今の病院で5000円の個室を頼むなら、此方のほうがいいなと思う。
しかしかなり悪いと言うのには少々驚いた。
いよいよ覚悟をしなければいけないのだろうか。
帰りの車の中で涙が出て仕方なかった。
子供の前で涙は見せたく無かったが・・・
主治医に見学に行った旨伝える。
転院するには本人が自覚していなければいけないので、主治医が
説明してくれると言う。
夫は今の病院が良いと言うに違いない。
再入院
2008年8月3日朝、夫の頭を触るととても熱い。
熱を測ったら39.2度あった。
どうしよう。オロオロする。
「熱があるから病院に行こう」と言うと「行かん」
「だって凄く高いから、病院に行こう。救急車呼ぶよ」
119にTELする。
割と冷静に対応できた。
「5〜6分で着きますから、判るように表に出ていてください」
暫くして、ピーポーと言う音が聞こえた。
救急隊員が3人で担架に乗せ、それに私も同乗する。
病院に着くと私は外で待たされた。
待つ間に夫の姉にTELする。
すぐ行くとの返事。
救急担当の先生に診察室に呼ばれ、いろいろ質問を受ける。
1時間程で姉がきた。
直ぐに夫の寝ているベッドに呼ばれた。
肺の水が増えていて酸素が少なくなっているとのこと。
肺炎では無いといわれホッとするが、入院する事になった。
退院してわずか2日半。
やっぱり退院するのには無理があったのかなぁ。
病室が決まり、入院グッズを取りに、姉の車に乗せて貰い家に帰る。
再度病室に戻ると夫の病名が「誤えん性肺炎」とあった。
「肺炎なんですか?」
「むせたりするとなりやすいんですよ」
確かにお水で口をゆすぐ時に凄くむせていた。
咽ぶたびに、私もびくびくした。
今日は日曜なので、主治医は居ない。
夫は酸素をつけ、眠ったままだ。
熱を測ったら39.2度あった。
どうしよう。オロオロする。
「熱があるから病院に行こう」と言うと「行かん」
「だって凄く高いから、病院に行こう。救急車呼ぶよ」
119にTELする。
割と冷静に対応できた。
「5〜6分で着きますから、判るように表に出ていてください」
暫くして、ピーポーと言う音が聞こえた。
救急隊員が3人で担架に乗せ、それに私も同乗する。
病院に着くと私は外で待たされた。
待つ間に夫の姉にTELする。
すぐ行くとの返事。
救急担当の先生に診察室に呼ばれ、いろいろ質問を受ける。
1時間程で姉がきた。
直ぐに夫の寝ているベッドに呼ばれた。
肺の水が増えていて酸素が少なくなっているとのこと。
肺炎では無いといわれホッとするが、入院する事になった。
退院してわずか2日半。
やっぱり退院するのには無理があったのかなぁ。
病室が決まり、入院グッズを取りに、姉の車に乗せて貰い家に帰る。
再度病室に戻ると夫の病名が「誤えん性肺炎」とあった。
「肺炎なんですか?」
「むせたりするとなりやすいんですよ」
確かにお水で口をゆすぐ時に凄くむせていた。
咽ぶたびに、私もびくびくした。
今日は日曜なので、主治医は居ない。
夫は酸素をつけ、眠ったままだ。
想像以上
2008年8月2日昨夜も3時頃に「お〜い」と起こされた。
トイレにいきたいという。
トイレ用の補助椅子に乗せたいのだが、夫は想像以上に重たく
力も全く入らない。
「私の背中に手を置いて」と言うも、だらりとするばかり。
汗だくになって、何とか椅子に乗せた。
椅子のまま便座の上に乗る事ができるので、トイレでいちいち
降りたりしなくてすむ。
今朝も3時ごろ起こされた。
トイレにいきたいという。
今日は何度頑張っても、夫を持ち上げる事が出来ない。
夫もされるがまま自分の意志で立ち上がることは出来ない。
ついにベッドから床に座り込んでしまった。
こうなると、何をしてもどうにもならない。
汗だくになって、涙が出て、それでも何とかしなくてはならない。
誰か呼ぼうにも二人暮らし。
ヤケクソでリフトを使ってみる事にした。
寝ている夫の背中に、ハンモックのような物を押し込み、夢中で
紐をリフトに引っ掛け、リモコンで上げ下げする。
何とか持ち上がり、ベッドの上に乗せることができた。
「こんなに大変な思いをしてまでトイレに行くのは無理だよ
嫌かも知れないけど、オムツはめて」と頼んでみた。
夫も判ったのか「うん」といった。
便秘も長く続いている。
ほんとに出たくなった時はどうしたらいいのだろう。
トイレにいきたいという。
トイレ用の補助椅子に乗せたいのだが、夫は想像以上に重たく
力も全く入らない。
「私の背中に手を置いて」と言うも、だらりとするばかり。
汗だくになって、何とか椅子に乗せた。
椅子のまま便座の上に乗る事ができるので、トイレでいちいち
降りたりしなくてすむ。
今朝も3時ごろ起こされた。
トイレにいきたいという。
今日は何度頑張っても、夫を持ち上げる事が出来ない。
夫もされるがまま自分の意志で立ち上がることは出来ない。
ついにベッドから床に座り込んでしまった。
こうなると、何をしてもどうにもならない。
汗だくになって、涙が出て、それでも何とかしなくてはならない。
誰か呼ぼうにも二人暮らし。
ヤケクソでリフトを使ってみる事にした。
寝ている夫の背中に、ハンモックのような物を押し込み、夢中で
紐をリフトに引っ掛け、リモコンで上げ下げする。
何とか持ち上がり、ベッドの上に乗せることができた。
「こんなに大変な思いをしてまでトイレに行くのは無理だよ
嫌かも知れないけど、オムツはめて」と頼んでみた。
夫も判ったのか「うん」といった。
便秘も長く続いている。
ほんとに出たくなった時はどうしたらいいのだろう。
咳き込み
2008年8月1日退院して2日目。
朝食を終えて、身体を拭き、パジャマを着替えさせる。
思ったより、重労働だ。
食事の後入れ歯を洗うのだが、そのときに口に水を含ませると
必ずむせて咳き込む。
咳き込みは肺炎につながるとかで、気をつけなさいと言われた。
水分の多い物は、とろみのつく粉を入れてとろりとさせて飲ませる。
口ゆすぎはとろみをつけないので、必ずむせる。
何とかならないだろうか。
お茶や薬はとろみをつければ、スムースに飲める。
食事も相変わらず、食べない。
ほんの一口、二口で要らないという。
これでは栄養の補給にはならない。
カロリーメイトのゼリー状になったものを買ってきて飲ませる。
結構飲める。
食事、トイレ、咳き込み、いろんなことで私の神経はピリピリだ。
慣れたくは無いが、慣れなくてはやっていけない。
朝食を終えて、身体を拭き、パジャマを着替えさせる。
思ったより、重労働だ。
食事の後入れ歯を洗うのだが、そのときに口に水を含ませると
必ずむせて咳き込む。
咳き込みは肺炎につながるとかで、気をつけなさいと言われた。
水分の多い物は、とろみのつく粉を入れてとろりとさせて飲ませる。
口ゆすぎはとろみをつけないので、必ずむせる。
何とかならないだろうか。
お茶や薬はとろみをつければ、スムースに飲める。
食事も相変わらず、食べない。
ほんの一口、二口で要らないという。
これでは栄養の補給にはならない。
カロリーメイトのゼリー状になったものを買ってきて飲ませる。
結構飲める。
食事、トイレ、咳き込み、いろんなことで私の神経はピリピリだ。
慣れたくは無いが、慣れなくてはやっていけない。
退院
2008年7月31日11時に介護タクシーが迎えにくるように予約してあるので
それまでに病室を整理して、会計も済ませなくてはいけない。
帰りは私もタクシーに乗るので、バスで行く事にした。
銀行の前がバス停なので、時間に余裕を持って出かけ、お金を引き出す。
11時きっかりにタクシーが病室まで来てくれた。
リクライニングのついた車椅子だ。
とても親切で、優しく対応してくれる。
家までは10分位だが、説明しなくても着いた。
向かいのおじさんが病気の時介護タクシーを利用し、来た事があると言う。
夫をベッドまで運んでくれた。
今日の費用は介護保険が使えないから実費だといわれていたが、思ったより安くホッとした。
昼から、リフトの取りつけにきた。
凄く大きい。
こんなの使うのかしら。
4時からは入浴サービスの説明にきた。
とりあえず毎週1回、お風呂に入れてもらえることになった。
夫といえば、相変わらず眠ってばかり。
起きてても、目を瞑ったままだ。
自分の状況がわかっているのか居ないのか。
私が勝手にあれこれ用意して、面白くないのかも。
入院するまでは、私の支えがあれば何とか歩けたのに、退院の時は
寝たきり。
こんなのありなの。
それまでに病室を整理して、会計も済ませなくてはいけない。
帰りは私もタクシーに乗るので、バスで行く事にした。
銀行の前がバス停なので、時間に余裕を持って出かけ、お金を引き出す。
11時きっかりにタクシーが病室まで来てくれた。
リクライニングのついた車椅子だ。
とても親切で、優しく対応してくれる。
家までは10分位だが、説明しなくても着いた。
向かいのおじさんが病気の時介護タクシーを利用し、来た事があると言う。
夫をベッドまで運んでくれた。
今日の費用は介護保険が使えないから実費だといわれていたが、思ったより安くホッとした。
昼から、リフトの取りつけにきた。
凄く大きい。
こんなの使うのかしら。
4時からは入浴サービスの説明にきた。
とりあえず毎週1回、お風呂に入れてもらえることになった。
夫といえば、相変わらず眠ってばかり。
起きてても、目を瞑ったままだ。
自分の状況がわかっているのか居ないのか。
私が勝手にあれこれ用意して、面白くないのかも。
入院するまでは、私の支えがあれば何とか歩けたのに、退院の時は
寝たきり。
こんなのありなの。
・・・
2008年7月29日今日、退院する夫の為に介護用のベッドが入った。
何時もは、一緒に食事をする為に、午前と午後に病院に
出かけるが、今日は午前中にベッドが来るので昼は病院に
行かなかった。
3時半過ぎに病院に行ったが、夫は寝てばかり。
主治医に呼ばれて昨日のMRIの結果を聞いた。
最初の脳の腫瘍の大きさそのものは変化が無いが、その周りを
取り囲むように浮腫ができているとか。
今後、痛みや吐き気、意識障害などが出てくる可能性が
高いといわれた。
「せめてお盆までは・・・」と主治医。
・・・うそでしょ・・・
ベッドの夫は相変わらず寝てばかり。
6時に夕食が来たので「ご飯だよ」と声を掛けるが、薄目を明けるも
直ぐに目を閉じてしまう。
スプーン口元まで持っていくと、目は閉じたまま口を空けて食べる。
ご飯は三口、おかずもほんの少し口にしただけで要らないと言う。
日に日に症状が悪くなる。
こんなんで退院できるのかしら。
家に帰って生活していけるのかしら。
不安でたまらない。
何時もは、一緒に食事をする為に、午前と午後に病院に
出かけるが、今日は午前中にベッドが来るので昼は病院に
行かなかった。
3時半過ぎに病院に行ったが、夫は寝てばかり。
主治医に呼ばれて昨日のMRIの結果を聞いた。
最初の脳の腫瘍の大きさそのものは変化が無いが、その周りを
取り囲むように浮腫ができているとか。
今後、痛みや吐き気、意識障害などが出てくる可能性が
高いといわれた。
「せめてお盆までは・・・」と主治医。
・・・うそでしょ・・・
ベッドの夫は相変わらず寝てばかり。
6時に夕食が来たので「ご飯だよ」と声を掛けるが、薄目を明けるも
直ぐに目を閉じてしまう。
スプーン口元まで持っていくと、目は閉じたまま口を空けて食べる。
ご飯は三口、おかずもほんの少し口にしただけで要らないと言う。
日に日に症状が悪くなる。
こんなんで退院できるのかしら。
家に帰って生活していけるのかしら。
不安でたまらない。
花火大会
2008年7月27日今日は花火大会だ。
毎年1万5千発もの花火が上がる。
我が家は花火が大好き。
花火大会には協賛として一人3000円を払うと入場券が貰える。
夫が病気になった年はまだ花火見物も出来たので入場券を家族
の数だけ買って皆で見にいった。
寝転がってみれば、目の前で花火が開く。
一度経験すると病みつきになる。
今年は、入院している病院の窓からみた。
夫の居る8階は特等席だ。
音は迫力が無いが、綺麗にみえる。
車椅子に乗せて見せてあげたかったが今の夫には
その気力も無い。
毎年1万5千発もの花火が上がる。
我が家は花火が大好き。
花火大会には協賛として一人3000円を払うと入場券が貰える。
夫が病気になった年はまだ花火見物も出来たので入場券を家族
の数だけ買って皆で見にいった。
寝転がってみれば、目の前で花火が開く。
一度経験すると病みつきになる。
今年は、入院している病院の窓からみた。
夫の居る8階は特等席だ。
音は迫力が無いが、綺麗にみえる。
車椅子に乗せて見せてあげたかったが今の夫には
その気力も無い。
退院が決まった。
2008年7月25日31日に退院する事に決まった。
と言うより、私次第と言う事だったので決めた。
ケアマネージャーに連絡して、介護用のベッドや椅子
リフトなど手配をしてくれるようにお願いをした。
29日には我が家に届くと言う事で、31日の退院に決めた。
もう、今の病院では治療する事がないのだ。
病院の医療相談の人が緩和ケアのある病院を見学したらどうか
と言ったので、お願いすると8月4日に予約が取れた。
見学イコール入院の予約のようだ。
いつ入院できるかわからないけれど、それまでは家で頑張ろうと
思う。
私の住んでる近くの人が、最近その病院に入ったと言う。
その人の家族に会って話を聞いたらどうかと言われたので、会って
話を聞けるようお願いした。
「なんでこんないいところ、もっと早く入らなかったのか」と言って
いたと言う。
緩和ケアに入ると言う事は、そこで最後を迎えると言う事か。
夫はなんと思うだろうか。
今まで夫には余命の話は一切していないが、緩和病棟に入ったら
理解してしまうのでは無いだろうか。
と言うより、私次第と言う事だったので決めた。
ケアマネージャーに連絡して、介護用のベッドや椅子
リフトなど手配をしてくれるようにお願いをした。
29日には我が家に届くと言う事で、31日の退院に決めた。
もう、今の病院では治療する事がないのだ。
病院の医療相談の人が緩和ケアのある病院を見学したらどうか
と言ったので、お願いすると8月4日に予約が取れた。
見学イコール入院の予約のようだ。
いつ入院できるかわからないけれど、それまでは家で頑張ろうと
思う。
私の住んでる近くの人が、最近その病院に入ったと言う。
その人の家族に会って話を聞いたらどうかと言われたので、会って
話を聞けるようお願いした。
「なんでこんないいところ、もっと早く入らなかったのか」と言って
いたと言う。
緩和ケアに入ると言う事は、そこで最後を迎えると言う事か。
夫はなんと思うだろうか。
今まで夫には余命の話は一切していないが、緩和病棟に入ったら
理解してしまうのでは無いだろうか。
眠ってばかり
2008年7月23日今日はうとうとと言うよりは。朦朧としているようにみえる。
食事も目を瞑ったまま食べようとする。
夕食はとうとう私が食べさせた。
自分で食べる気は全くなし。
微熱も相変わらず続いている。
血液検査の結果は、特に悪い菌はついていないという。
トイレに連れて行くときも、身体に全く力が無く、だらりとしたまま。
そうなると余計に重たく感じられて、動かせない。
夫も自分の身体をどうする事も出来ない。
腕を動かすのも、思うように出来ない。
相変わらず寒い寒いと言う。
左の肩から腕に掛けて大きなカイロで温めているが、それでも
寒いという。
昨日病院で一人亡くなった方がいるが、その人は27年も寝たきり
だったとか。
奥さんも大変だっただろうに。
それに比べたら私なんか楽なもんだと思う。
でも、夜は中々寝つけないし、ちょっと疲れてきた。
食事も目を瞑ったまま食べようとする。
夕食はとうとう私が食べさせた。
自分で食べる気は全くなし。
微熱も相変わらず続いている。
血液検査の結果は、特に悪い菌はついていないという。
トイレに連れて行くときも、身体に全く力が無く、だらりとしたまま。
そうなると余計に重たく感じられて、動かせない。
夫も自分の身体をどうする事も出来ない。
腕を動かすのも、思うように出来ない。
相変わらず寒い寒いと言う。
左の肩から腕に掛けて大きなカイロで温めているが、それでも
寒いという。
昨日病院で一人亡くなった方がいるが、その人は27年も寝たきり
だったとか。
奥さんも大変だっただろうに。
それに比べたら私なんか楽なもんだと思う。
でも、夜は中々寝つけないし、ちょっと疲れてきた。
退院してもいいの?
2008年7月22日主治医に退院について聞いたら、いつでもいいような
返事だった。
私の気持ち次第か。
家につれて帰りたいが、一人で介護するのはとても無理だというのが
トイレに連れて行くことだけ考えても判る。
看護士も「奥さん一人では・・・」と言う。
このまま置いて貰うことは出来ないのだろうか。
治療する事が無いと言う事は、退院してもいいという事なのか。
夫は私一人では無理だから、退院したくないという。
「違う病院に入院する事になってもいいの?」
「仕方ない」
もう夫には治療法が無いという事なのか?
緩和ケア病棟のある病院に転院するという事は、そこで
最後を迎えるという事なのか。
午後、病院に行くと夫は眠っていたが、オムツをさせられていた。
その姿を見たら、涙がでてきた。
どうやら夫はオムツをされた事に気が付かないでいたようだ。
トイレに行きたいといった時に気が付いて「誰がこんなこと
しただ」と怒った。
ウンチが出ない。
行きたいというたびに大変な思いをしてトイレに連れて行くのに
出ない。
少食だし、運動はしていないし思うように出るわけ無いと思う。
返事だった。
私の気持ち次第か。
家につれて帰りたいが、一人で介護するのはとても無理だというのが
トイレに連れて行くことだけ考えても判る。
看護士も「奥さん一人では・・・」と言う。
このまま置いて貰うことは出来ないのだろうか。
治療する事が無いと言う事は、退院してもいいという事なのか。
夫は私一人では無理だから、退院したくないという。
「違う病院に入院する事になってもいいの?」
「仕方ない」
もう夫には治療法が無いという事なのか?
緩和ケア病棟のある病院に転院するという事は、そこで
最後を迎えるという事なのか。
午後、病院に行くと夫は眠っていたが、オムツをさせられていた。
その姿を見たら、涙がでてきた。
どうやら夫はオムツをされた事に気が付かないでいたようだ。
トイレに行きたいといった時に気が付いて「誰がこんなこと
しただ」と怒った。
ウンチが出ない。
行きたいというたびに大変な思いをしてトイレに連れて行くのに
出ない。
少食だし、運動はしていないし思うように出るわけ無いと思う。